あらすじ:
1823年の秋、ウィーンの精神病院にひとりの老人が運ばれてきた。
老人の名はアントニオ・サリエリ。彼は病床でモーツァルトに対する謝罪を繰り返していた。
病床のサリエリを訪問し、事情を尋ねる神父。
サリエリは神父に対し、かつて自分がオーストリア皇帝に仕える宮廷音楽家だったことを伝える。
そして、彼の前に現れた天才音楽家モーツァルトとの葛藤を語り始めるのだった。
見どころ:
映画全編に流れるモーツァルトの名曲、そして数々の名曲を作った本人であるモーツァルトの奇行とのギャップがおかしくも美しい作品です。
タイトルの「アマデウス」は、モーツァルトのミドルネームであることは誰もが知るところですが、決してモーツァルトの伝記映画ではありません。
この映画はサリエリの目から見た目線で語られますので、むしろこの映画の主役はモーツァルト自身ではなく、狂言回しであるサリエリであるといえます。
常に自分よりも上にいる、追い越すことのできない存在であるモーツァルトを前に、様々な方法で挑みつづけるサリエリは、「努力型の秀才」であることの悲しさを見せてくれます。
それだけに、この映画ではモーツァルトではなくサリエリに感情移入して見てしまうという人も多いのではないでしょうか。
感想:
モーツァルトは、「死神にレクイエムの発注を受けて死んだ」というまことしやかな伝承があります。
この映画はそんな伝承に対するひとつの答えを提示しており、実際に発注を受けた曲をサリエリと一緒にモーツァルトが作曲するシーンがあります。
この場面は「アマデウス」という映画の中でも特に名場面であり、それまでいがみ合っていたサリエリとモーツァルトが一緒になって作曲していく場面はかなりの見応えがあります。
なお、この映画は年老いたサリエリで始まり、最後も年老いたサリエリで終わります。
この時のサリエリの姿には、天才に勝つことのできなかった凡人代表としてのサリエリの悲哀に満ちています。
なまじモーツァルトの日常生活が共感できないほどの自由奔放な過ごし方をしているという描写をしているため、さらにサリエリの哀れさが引き立っているのです。
むしろ世の中にはサリエリのような人がほとんどではありますが、かといって天才には勝てないと考える映画ではありません。
この映画で伝わることは、それでも生きていくことの切なさ、哀しさ、そして素晴らしさではないでしょうか。